君の名は

 梅の橋の上で人待ちの女性を見つけた。
 携帯電話を片手に話す。電話の向こうは男性だろうか。どこにいても連絡がつくのだから、きっとあの女性には待ちぼうけなどということはないのだろう。
 便利な時代になったものと、彼女達を羨むと同時に、もったいないと思う心もある。
 人を待つ、甘美な時間をあなた方は知らない。
 脳裏をよぎる、遥か昔のラジオドラマの音声を思い出す。
 再会を約束する二人と、待ちぼうけの数寄屋橋。
 あのラジオドラマが流れる時には、どこも銭湯が無人になったものだ。
 優しい色をした欄干をなでながら、当時の歌を口ずさんでいると、声がかかった。

「君の名は、ですか」

 犀川さん、と名前を呼ぶ。
 あなたはいつものようにゆるやかに笑うと、からかうように私に言った。
「僕は半年も待たせましたか?」
 いいえ、いいえ。
 私も笑う。どれだけか待ったような気がするけれど、大した問題ではなかった。時計を確認する必要なんてない。

「半年など、私達には一瞬のことです」

 絶えない流れを持つ私達で、あるならば。
 それに、待つことは嫌いじゃない。
 待ちますよ、いつまででも。
 あなたが言うのなら、何年でも、何十年でも、何千年でも。
 ついと視線を流せば、いつの間にか、人待ちの女も、橋から消えていた。
 彼女も待ち人に、出会えたのだろうか。



「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」
君の名は 冒頭