透明なしずく

 待ち合わせは完全に遅刻だった。
 風呂敷の包みを抱いて、炎天下の中駆け足で階段を上ったら、鳥居の下、あの人は立ったまま本を読んでいた。
「お待たせしました」
 息をはずませて言うと、ぱたん、と長い指が本を閉じる。
 古い詩集だった。
「いいえ、待っていませんよ」
「嘘」
 優しい嘘に、思わずなじる声が出た。
 けれど彼は笑うだけ。
「本を読んでいる間は、待っているとは言いませんから」
 それが彼の論理らしかった。
 渇いたでしょう、と渡されるのはペットボトル。
 封の開いたそれを、突き返すのも子供のようで、出来なかった。
「……あんやと」
 わざと小さな声で言って、透明なそれをを傾ける。
 揺れながら、溶けていく命。
 溶けていくあなた。





港にて

 地引き網が解禁となった。
「見に行きませんか」と誘うと、喜ぶように彼女は笑った。
 僕らは港の活気に触れるのが好きだった。人の息づく声。
 それは水が溶けて、自由になる場所だ。
 自分達にとっては行くみちであり、帰る場所である。
 砂浜を裸足で駆け出す彼女に海鳥たちがちょっかいをかける。
「こら、だめやって」
 笑い、いさめる、彼女に目を細める。
 手を掴んで引くと、彼女は驚いたように振り返った。
 誤魔化すように遠くを見ながら、「冬が来ますね」とつまらないことを口にする。
 自分の退屈さに辟易するけれど、口に出して見ればしみじみと、波の荒さと風の強さが身に染みた。
 灰色の空。漁師の声。

 日本海は、冬の海だ。