夏とマキコさんとMDウォークマンのハナシ。
マキコさんのMDウォークマンには名前がありません。
…………失礼しました。目を点にしないで下さい。
しかしちょっと聞いてください。マキコさんのMDウォークマンはどうやら生きているようなのです。そもそもマキコさんのMDウォークマンはマキコさんがお小遣いで大きな電気屋さんで買ったそれなりに新しい(新品は新品ですけど最新式とは言い難い……)MDウォークマンなのです。話をもう少し戻すなら、マキコさんは今年高校三年生の天下の受験生さまで、夏休みは夏期講習で塾に行く事になっておりました。その塾と言うやつがこれまたバスで一時間ほどかかる場所で、学校に行くのだって20分しかかからないのにやんなっちゃうわとマキコさんは思っていました。(でもそれだって決めたのはマキコさんです)その塾の行き帰りマキコさんはMDを聞く事にしたのです。
買って数日はとても普通のMDウォークマンでした。
MDウォークマンが喋り出したのは、さぁ明日から夏休みだというそんな日の夜でした。
ええ、そうです。喋りだしたんです。
MDウォークマンの今時の奴は大抵手元にリモコンがついてるじゃないですか。そしてそこに曲のタイトルが表示されたりするアレです。もちろんマキコさんのMDウォークマンにもついていました。スイッチを入れると<オハヨウ!>とか<BYE!>とか表示されるのです。それだけなら別に何ら構わず人畜無害だったのです、が。その晩マキコさんがリモコンに目をむけると。
<ジュウデンきれちまうだろバーカ!!>
スクロール、スクロール。そんな文字が流れていました。けれどマキコさんは全然全く驚かず、「ううううるさああああいいいい」とうなっただけでした。その時のマキコさんにはそんなわがままなMDウォークマンの発言にかまけている心の余裕なんてものはなかったのです。でもMDウォークマンのほうも負けてはいません。
<いつまでメソってるんだよ! いいカゲンにしろよ!!>
それでもってMDウォークマン氏にはデリカシーってもんが欠けていたのです。
<シツレンくらいどってことねぇよ! カミきれカミ!! フラレたんだろ!?>
「ふられたゆうなああ!!」
ぼたぼたと泣きながら叫ぶマキコさん。でもそれは仕方が無いってもんですマキコさん。正確を期すならマキコさんは振ってやったほうですが、けれどフタマタかけられてでもまだ好きでいたのだからマキコさんそりゃあ勝ち目が無いってもんです。もっと実も蓋も無く言うなら、よくあることです。
<オウジョウギワわりぃ! ワカメみたいなカミしやがって!>
「わかめじゃないもんん…………!!」
ふだんはとっても気が強くて百戦錬磨のマキコさんもその日は形無しでした。まぁ乙女なんてそんなもんです。
<ああそうかよ! いいかげんなけるウタリピートしっぱなしでオレもあきるんだよ! ネロよハヤク!!>
「ねるよぉぉぉぉ……」
そうしてマキコさんはMDウォークマンをがちゃがちゃ充電器につけてもそもそとベッドに向かいました。そんなに泣くこたぁありませんよマキコさん。なんたって季節は夏。夏は新しい恋の季節なのですから。
そうしてマキコさんはMDウォークマンとあまり衝撃的じゃない出会いを夏の始めにしたのでした。
マキコさんのMDウォークマンはうるさいです。いえいえもちろん音量の調節はできるんですけどね。かなり口が悪いのです。
<アッチィなぁオイ。コンでるばすなんてヤンなるなぁ>
(あんたが疲れるわけじゃないでしょうよ疲れるのはあたし)
夏期講習に行くバスの中でマキコさんはつっこみを入れます。でも口には出しません。もう少し待つと、繁華街で人がどっと降りてマキコさんは座席に座れて、MDウォークマンにこそっと話しかける事もできるのですが。
<もっとケイキよくうたいてぇなぁ オンリョウあげない?>
(あげない)
そんなカンジです。MDウォークマンのお喋りを聞いているとなんだかとても疲れるので、マキコさんはどうしてこのMDウォークマンが喋るのだろうかとかそんなことは考えない事にしました。それよりも、数学の問題一問解いてた方が受験生には有意義ってもんです。夢が無いとか言わないで下さいね。マキコさんだって、受験は必死なのですから。でもMDウォークマンだってないがしろにされておとなしく黙っているようなタマじゃないのです。
<なぁなぁなぁなぁ!!>
『何』
バスの隅っこに座ってひそりとマキコさんは答えます。
<オレにナマエ! ナマエつけろよ!!>
またかとマキコさんはため息をつきます。なんどもなんども同じ事を言われているのです。どうやらMDウォークマンはマキコさんに名前をつけて欲しいようなのです。けれどもMDウォークマンときたら注文が多すぎます。
『MD太郎』
<ザケンな!!!!!>
『M子ちゃん』
<ダレがエムコだ!!! おれぁれっきとしたオトコだ!!>
『アンタ性別あったの』
<あったりめーダロ! マンだぜマン!! ウォークウーマンだったらゴロがわるいダロ!?>
言う事がなかなかくだりません。
<おれぁニッポンダンジだぜ!? コクサンだぜ!!!>
『はいはい』
やれやれと思ってマキコさんはバスを降ります。バスでの通学がつまらないと言う事はどうやらないようですね。
(名前、名前、名前ねぇ…………)
どうしたもんかなと思いつつ教室に向かいます。クーラーのきいた教室のドアを開けたらこれまた「どうしたもんかな」な人がいました。
「だぁああああうるせええええ!!」
塾の机につっぷして思った事をそのまま口にしていた少年がいました。
「うるさいのはアンタ」
マキコさんも思ったまま告げると少年はびっくりしてマキコさんのほうを振り返りました。良く日に焼けた、彼の名前はレイジくんといいます。
「お・おはよう神山さん」
ちなみに神山というのはマキコさんの苗字です。
「ハイおはよう」
さらりと答えてマキコさんはレイジくんの隣に座ります。ほかにも席は山ほどあるし教室に来ているのはレイジくんとマキコさんだけなのですから他のところに座ればいいものなのですが、いかんせん座席がそれで固定されているのですから仕方がありません。
「あ。なぁなぁ英語の予習やった?」
「やったけど」
「見して見して見して!! 問3の下線部!!」
「問3の下線部、キミ、今日当たる」
「だから見してって言ってんダロ!?」
「いばるんじゃない!!」
レイジくんとマキコさんは今年の夏にはじめてあったのですが。
これは気が合う。と言ってもいいのでしょうか?
「この単語何?」
「それはdecay。衰える…………って、佐久間くん単語も調べてないの? その高そうな電子辞書は飾り?」
「うるせぇ!」
うるせぇといわれてカチンとくるマキコさん。案外短気なようです。でもレイジくんは気にしません。
「神山さん髪なげぇ」
「ごめんなさいね暑苦しくて」
つんと答えるマキコさん。レイジくんは相変わらず一言多いカンジです。
「ワカメみてぇ」
レイジくんはばっちり殴られました。
その日の塾の帰り道、マキコさんはMDウォークマンに話しかけます。
「ねぇ、あんたの名前さぁ…………」
<なに。なになになに>
「レイジ、じゃだめ?」
うるさいMDウォークマンから反論がなかったので、そういう事になりました。
さて、夏は恋の季節と申しますが。皆さんの期待に少しはこたえる事にいたしましょう。
「神山さん神山さん神山さん!!!」
それは前期夏期講習の最終日、塾からの帰り道の事です。マキコさんは後ろから走ってきたレイジくんに呼び止められました。
「なに」
「神山さん、今度の日曜空いてる? つうか空けといて。どっかいこう」
「誰と」
「オレと」
「どこに」
「どっか」
レイジくんはだらだらと汗をかいていました。多分それは、太陽光線のせいだけとは言えないのでしょうね。
図書館ならいいかな、とマキコさんは思いました。でもすぐには返事をしませんでした。なぜってマキコさん、失恋をしてから一ヶ月もたっていなかったものですから。昔の人をいまだに思うわけではありませんが、それでも傷っていうものは案外、残ってしまうものです。
「……あのねぇ佐久間くん」
「何?」
呼んだらレイジくんは必死で返事をしてきました。かわいいな、と正直ちょっとマキコさんは思いました。
「あたしのMDウォークマン、喋るんだよね」
「へ?」
「だから、あたしのMDウォークマン。生きてるんだよね」
「は?」
「信じる?」
マキコさんはその目でじっとレイジくんを見ました。レイジくんはと言えばぽりぽりと頬をかいて、おもむろにかばんを降ろします。そして中から取り出したのは、高価そうなあの電子辞書でした。
「あのー、それを言うなら神山さん、俺の電子辞書も喋るスけど……」
「へ?」
ぱかり。レイジくんがそのグレーの辞書の蓋を開くと、液晶画面にヒトコト。
<ちょっと!!! カバンの中は蒸し風呂だって何度言ったらわかるの!!?>
「な?」
レイジくんはマキコさんに同意を求めます。
「こいつもううるせぇのなんのって……」
「……佐久間くん、この電子辞書、何て名前つけたか、聞いてもいい?」
マキコさんがそう聞くと、とたんレイジくんは目を背けて明後日の方向をむきました。「ふぅん」と
マキコさんは思いました。
それからこの二人がどうなったか、その辺の顛末はご想像にお任せいたします。
けれど一つだけ付け加えておくなら、MDウォークマンのレイジくんと電子辞書のマキコさんは隣り合わせにおいておくとすぐに口喧嘩をはじめるのです。けれどまぁ、お互いほんとうに嫌いあってはないみたいですから、そのうちここでも恋なんか生まれたりするかもしれません。
なんたって季節は夏。新しい恋の季節なのですから。
それでは皆さん、何はともあれ暑中見舞いを申し上げます◎