つながれもののうた
―エィハとジュナのこと―

「愚者どもになんて、構ってはいられないのよぅ」
 そう、絹の毛布の上で、魔法の煙を吸いながらジュナは言った。
 とろけるような笑顔で。
「ねぃ、どうしてだかわかる? エィハ」
 わからない、とわたしは答えた。
 もとよりわたしはこれまで、考えるということに時間を割くことをしてこなかった。
「あたシたちにはすでに時間がないの。その限られた時間に、捜さなければいけないものは、たぁくさんあるのよぅ」
 かつん、と灰を落としながら、ジュナが言う。
 わたしたちの捜さなければならないもの、をあなたは羅列する。
 生まれた意味。
 生きた爪痕。
 それはつまり、存在の証明なのだと。
 ねぃエィハ、とジュナは笑う。
「戦うって、素敵なことねぃ……」
 だって、生きているんだもの。
 薄暗い洞穴の中、油と獣のにおいがする隠れ家で。
 使命と呼ばれるものに暗い炎を燃やすあなたは言った。
「ねぃ、歌いましょうか、エィハ」
 うたをうたう時だけは、誰よりも美しい声をしていた。
 たったひとりの、わたしの友達。
 おろかであまりに、かわいそうなあなた。

《Prologue》



 人と獣を分けるものはなんだろう。
 一番古い記憶は、ヴァルの毛並みだった。そのころわたしは腕の鎖を極限まで短くなるようにヴァルに巻き付けて、ぴったりとはりつくように生きていた。ヴァルは小さなわたしが背に乗るには少し大きすぎる生き物だったが、その固くて掴みがいのある毛並みは、幼い頃からわたしの安堵そのものだった。
 わたしのすべての世話はヴァルがしてくれた。それは他者への愛情ではなく、自愛の一種だった。
 わたしたちは、等しく痛み、等しく悦びを得た。
 長い間、わたしは自分がヴァルの一部なのだと思っていた。


 深い森で獣として生きるわたしたちを狩ったのは、鎖のない人間という生き物だった。
 人間はわたしのことをまじりものと呼んで珍しがった。
 入れられた鉄の柵の中には、わたしと同じく獣のさがをもつ人と、人でありながら、獣と鎖でつながれたものたちがいた。
 けれど、わたしと同じく、獣のさがを持ちながら、鎖をもつ人はいなかった。
 そこでわたしは、自分と他者をわける必要性を知り、「エィハ」という名前も得た。他の人につながれた獣と区別するために、半身にヴァルという名前をつけたのもその頃だった。
 都市と呼ばれる人の世界の中で、わたしは多くのものを知る。
 パンという食べ物、味のついた湯。火を通した肉。そして、わたしがなにより覚えたのは鞭の味だった。
 毎日言いつけられる仕事は多く、少しでも遅れや不備があれば、鞭にうたれる日々。
 わたしにとって仕事は、鞭をよけるための利口さでしかなかった。

《1~5歳 来る日も来る日も鞭を打たれる日々》



 まじりものとつながれものを働かせ、時にそれを売る奴隷商のもと、同じ鎖を持つものの間にありながらも、両方の性質を持つわたしは異端だった。
「ねぇ、知ってる?」
 つながれもののひとりが、死した目をしてわたしに言う。
「わたしたち、もうすぐ死ぬのよ」
 つながれものは長くは生きられない。それが、彼らや彼女たちの、手足ではなく心を縛る鎖だったのだろう。
 でも、わたしはいつも思っていた。
 寿命が一体、どんな意味をもつというのだろう?
 死した目をした彼女たちは、たとえば貴族の足下にスープを落としたというだけで、首を跳ねられた。

《6歳 親しくしていた友人が、
まったくつまらないことで貴族に殺害される》



 そんなことが続いてから、私は隣にいる誰かの、名前を覚えることをやめた。

《7歳 親しくしていた友人が、
まったくつまらないことで貴族に殺害される》



 死は順番であるように思う。
 寿命などは関係なく、突然肩を叩かれて、攫われてしまう。
 でも、逃げ道はあるのだ。他の奴隷たちは知らなかったのかもしれないけれど。たとえば森の中で、わたしを殺そうとする獣に出会った時。こちらが向こうの肩を叩けば、その順番はひっくり返される。
 殺せば、死なない。
 とても単純な論理だ。


 その日わたしはヴァルに大きな荷物を引かせていた。いつものように背にしがみついて、角を曲がったところで豪勢な馬車とぶつかり、その馬車を壊すことになった。わたしとヴァルに傷はなかったけれど、引いた荷は倒れたし、そうでなくても、これは失敗だとはっきり認識していた。
 ささいな失敗が、わたしの肩を叩くだろう。
 わたしはヴァルにしがみつく手を強め、その耳元に、声を吹き入れる。

 可能な限り、殺し尽くそう。

 その覚悟をヴァルと決めた、その次の瞬間だった。

「ほう。このつながりものは、まじりものじゃあないかね」

 異国の響きだった。馬車から降りてきた、大きな身体の貴族は、指という指に宝石をつけて、ヴァルの上の、わたしを指した。

「どこの奴隷だ? 丁度いい、一匹、見目のいいつながれものが欲しかったんだ。ただのつながれものじゃあ、箔がつかないものでな」

 この主人を呼べ。言い値で買おう。
 そう言った、ドナティアの貴族からは、他のつながれものを殺したような気配がなかった。ただ、試すようにわたしを見て、わざと、わたしにもわかるようなこの島の言葉で言った。
「獣のまじるつながれものよ、名前は言えるか。わたしは、どれほど珍しくとも愚者は嫌いだぞ」
 愚者は嫌いだといった、その言葉が、わたしに響いた。
 だからわたしは、ヴァルの首根に拳をかため、小山のような身体を押しとどめながら小さな声で告げたのだ。
「エィハ」
 人の呼ぶ、わたしの名を。
 ドナティアの貴族は、笑う。

「いい声をしているな」

 ウォーカー伯爵。
 それが、利口であれとわたしに教えた、主人の名だ。

《8歳 ドナティアの金持ちに気に入られ、
さまざまな仕事を言いつかる》



 伯爵は貴族でありながら、宝石商の仕事もしているという、ドナティア人のなかでも異質な人間だった。
 周囲にはべらす女達も教養が高いか、芸術家としての素養があるものばかり。
 それらの間にまじり仕事をこなしながら、わたしは音楽というものに出会った。鳥の声と狼の遠吠えを混ぜて万倍も澄ませたようなそれは、頭の芯をぼう、と震わせるものだった。
 ヴァルに聞かせても、同じように喉を鳴らした。
「気持ちいいね」
 喉から鳴らす、音楽を、歌というそうだ。
 伯爵は愚者を蛇蝎のように嫌ったが、代わりに鞭を振るうことはなく。
 振り返ってみれば、その暮らしは、幸福と呼ぶに足るものだったのであろうと思う。


 伯爵の身の回りの仕事の中でも、特にわたしが重用されたのは、伯爵が宝石の買い付けなどに出る時の護衛だった。確かにヴァルの大きな身体は、人も獣もなかなか襲えるものではない。
 けれどその日は、様子が違った。

「馬を止めろ!!」

 怒声とともに止められた馬車が取り囲まれる。現れたのは武装した人と、無骨な防具をつけた獣。そしてそれに、つながれたもの。
「有り金を全部置いていけ! 宝石もだ!」
 山賊というには大がかり過ぎる相手だったが、わたしはヴァルに合図をおくる。
 相手がなんであれ、向かってくるものをわたしは退けるつもりだった。

 それが、自分の肩を叩くことになったとしても。

 ヴァルの吐く毒の息に怯む相手。殺すことに、躊躇いはない。しかし奥から叫ぶ声。
「ジュナ、出ろ!」
 現れたのは、熊と蛇の混じりあう魔物。
 そしてその背に乗る、わたしと同じ、背丈の少女。
 彼女の腕には、蛇のうろこが光っている。

「うたをうたえないつながれものなど、あたシの敵じゃあないわねぃ」


 それが、ジュナとの出会いだった。


 彼女の爪がヴァルの肩をえぐり、久しい痛みに喉が裂けるほど声を上げた。
 だめだ。
 肩を、叩かれる。
 痛みをこらえ死を覚悟しながら、なお、一矢を報いようとした、その時だ。
 わたしたちを止めたのは、わたしの主人であるウォーカー伯爵だった。

「無益な争いは、愚者のすることだ」

 金なら出そう、と彼は言う。わたしは悔しさに、獣のように喉を鳴らす。まだ、わたしは相手を殺す気だった。自分と、ヴァルの命と引き替えても。
 けれど、わたしを組み伏せたジュナは是とは言わなかった。
 隊を率いる男を振り返り。

「ねぃ隊長、金と宝石は諦めましょうよぅ。代わりに、あたシ、この子が欲しいわぁ」

 わたしをのぞき込み、笑う。

「この子はつながれものでまじりものよ。訓練を積めば、きっと、あたシと同じように強くなる」

 いらっしゃい。なり損ないの生き物。
 あたシと同じ、まじりもののつながれもの。

 さしのべられる手は、戦いに荒れている。
 わたしは振り返る。苦い顔をした、わたしのご主人。

 愚者とは一体、なにものの名だろうか。

《9歳 まじりものの友人がひとり出来た》



 革命軍に入ったわたしは、同年代でありながら先輩であるジュナに様々なことを教わることになった。
 ここでの暮らしは奴隷の生き方ではなく、兵の生き方だとジュナは言った。まじりもののつながれものでありながら、強い力を持つジュナは兵士としてとても重宝されているようだった。
 まじりものの少女でありながら、ジュナには老婆のような狡猾さがあり、娼婦のような色気も持ち得ていた。歩けない両足でさえも、彼女の麗しさであるようだった。
 いつも綺麗に着飾ったジュナは、外に出るとなればその全てを捨てて鎧を纏う用意があるのだった。
 けれどわたしは、他人の宝石で着飾るジュナよりも、全てを捨てて戦地へと出ようとするジュナの方が美しいように思えた。
「あんたは阿呆だけど可愛いわねぃ……」
 小さな子供を可愛がるように、ジュナはわたしのことを愛でた。わたしはそうされることが甘くやわらかく心地良かったけれど、ヴァルはあまり、ジュナのことが好きではないようだった。
「そういうものさね」とジュナは笑った。
「あたシはあんたに、戦い方を教えるんだものねぃ」
 そうしてジュナが教えてくれたのは、つながれもののうただった。
 古い魔術のうただというそれは、言葉ではなく声帯の震え、鼓膜の震えでわたしの命とヴァルの命を共鳴させるものだった。
 あたシは本当はくすりよりもうたがすき、とジュナが内緒の話のように教えてくれた。
 だから、あんたは、くすりは覚えなくてもいいの、少し暗い瞳で、わたしに歌を教えてくれた。
「うたいながら、戦ってごらんなさぃ?」
 生きてるって、感じがするでしょう?
 わたしはどうしてジュナがそうまでして、「生きている感じ」を求めているのか、わからなかった。生きる意味も。その証も。
 わたしはジュナが利口だとは思えない。
 物事を成すには、この世界は一瞬だとジュナはいった。わたしもそう思うのだ。
 走れば短く。微睡めば長い。
 加速すれば、短命になろうに。
 愚かな貴方と、わたしは目を閉じる。


 ある日のこと。血と砂にまみれながら、兵として生きる日々の中で、わたしはジュナに尋ねた。
「ねぇ、ジュナ、外に行ってもいい?」
「なにをシに?」
 やわらかな毛布に横たわるジュナが、煙をくゆらせわたしに尋ねる。
「花を摘んできたいの」
「花? 一体どうするんだい? 飾るのかい?」
「ヴァルの目元にさすのよ」
 かつてわたしはウォーカー伯爵から、つぶれたお前の獣の目が怖いと言われた。わたしは伯爵が気に入るように、包帯で隠したヴァルの目元に一輪の花をさした。
「花ならいくらでもあるでしょうよぅ」
 宝石も。金も銀も。けれど、わたしは首を振る。
「わたしの摘んだ、花がいいって。ヴァルがいうから」
 わたしはヴァルにまたがり、森に行く。


 その日わたしはついてはいなかった。
 森で出会った、狩りを行う貴族達に見つかったのだ。
 飛び道具を用い、わたしを撃ち取ろうとする貴族たち。
 わたしは胸に抱いた花の束をかばったのだ。とても美しい花だったから。

 きっとジュナが、喜ぶだろうと思ったから。

 追い詰められて崖から転がり落ちる。
 濁流に溺れながら、わたしはヴァルに命じた。

 飛べ!

 ヴァルの翼が、開く。そして。
 わたしは。空へ。

《10歳 面白半分で貴族どもに川につきおとされる》





EX)別れ

 ジュナの言う、生きる証はわからなかったけれど、わたしは革命軍で戦い続けた。理由はといえば、やはり、ジュナがいたからだった。
 何人もの友を無くしたとき、もう友をつくるまいとわたしは思った。
 けれど、ジュナは違った。ジュナは強かった。戦っても、生き残る強さを持っていた。
「エィハ、おいで……」
 不思議なほど静まった夜、革命軍の拠点で、ジュナは天幕にわたしを呼んだ。
「よく聞くんだよぅ。明日、あんたは、精鋭の一軍とともにこの地を発つことになったわ……」
 わたしは小さく首を傾げた。あんたは、という言葉がひっかかったのだった。
「ジュナも?」
 その言葉に、ジュナはかすかに笑って、わたしの頬をなでた。
「あたシは、行けないんだ……」
 別のお役目があるからさ、とジュナは煙をくゆらせる。
「役目」
「そう……。大事な大事な、お役目だよぅ」
 この軍を、そして、この島の未来を左右するような。
「つながれものの指揮はイズンがとるわぁ。ほら、あの、石巨人の……。あいつの言うことを、ちゃぁんと、聞くんだよぅ……」
「……ジュナ、は?」
 もう一度聞く。「やだよぅ。この子は、赤子みたいに……」ジュナがぐりぐりと、額をわせて、わたしの耳をなでてくれた。
 天幕の外ではすっかり仲良くなったヴァルとダグナが身を寄せ合っている。
「あたシは、あたシの、お役目……。ねぇ、エィハ、また、お役目が終わったら、会いましょうねぃ……」
「うん」
 わたしは頷き、額をぐりぐりと、ジュナのそれにあわせた。
 ジュナからは、香木のいいにおいがした。
「生きて、また、会うわ」
 たったひとりの。
 わたしの友達。
 その時、わたし達はけれど、約束は交わさなかった。
 そんなものは、なんの気休めにもならないと、互いが知っていたから。
 もしも約束をしていたなら、運命は、変わっていたのだろうか。









 どうか、必ず。生きて(・・・)

 もう一度、と。


>>>>>>>>>To Be Continued...